金曜会 荒川 充洋
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方術信和会 新年 令和参年(2021年)を占う
金曜会 荒川 充洋
令和三年 辛丑 水運不及
六白金星中宮 六白金星が九星の中央に配座する。
恵方は丙(南南東) 歳徳神の在泊する方位、大吉方
歳破は未(南南西) その年の十二支(丑)と向かい合う方位(未)破れ、この方位に向かうことを慎む。縁談・契約などは破談になる。
五黄殺は辰・巽・巳 五黄土星が在泊する方位。自分が原因でトラブルや災を起こす。
内臓の病気を起こしやすい。一白水星の人は腎臓、二黒土星の人は脾・胃、三碧木星の人は肝臓、四緑木星の人は肺・小腸・大腸、五黄土星の人は肝臓・小腸・大腸、六白金星の人は心臓、七赤金星の人は肺・呼吸器系、八白土星の人は胃・消化器系、九紫火星の人は心臓に影響を受けやすくなります。
暗剣殺は戌・乾・亥 五黄土星の反対に位置する方位。
自分以外のことが原因で起こるトラブルや災難。 突発的な事故・アクシデント、暗闇でバッサリ
五運六気ごうんろっきとは
天地の動静は、五運六気の推移となり、寒暑の交代によって春夏秋冬の気候を生じる。
木火土金水の五運が、かわるがわる、その年の地運を統治し、また、厥陰・少陰・太陰・少陽・陽明・太陽の六気が推移しながら天気を主宰しております。
天文とは、六気の推移状況を把握することです。
地理とは、五運の交代規則に通暁することです。
人事とは、この五運六気が人体に影響して、血気の運行に変化を与える事を理解することである。
太過たいかの年は、天の六気の推移に先だって、五運のはたらきが行われます。このため季節が平年よりも気候が7日位早めにやって来ます。令和二年は庚子で、かのえ・陽干と、ね・陽支が組み合わさって太過の年となります。
気象庁の発表でも花の開花がいずれの季節でも早く咲いたという報告がありました。
不及ふきゅうの年は、天の六気の推移に遅れて、五運のはたらきが行われます。令和三年は辛丑で、かのと・陰干と、うし・陰支が組み合わさって、不及の年となります。気候が7~10日遅れてやって来ます。
甲の年は、土運太過。丙の年は、水運太過。戊の年は、火運太過。庚の年は、金運太過。
壬の年は、木運太過。となり、乙の年は、金運不及。丁の年は木運不及。己の年は、土運不及。
辛の年は、水運不及。癸の年は、火運不及。となります。
およそ、上は天文を知り、下は地理を知り、中は人事を知れば、これこそ永遠に天の道理にかなうものである。
黄帝が謂われるに「教えるに値する者であっても、教えないと云う事は、天の道理を失うことであり、教えるに値しない者に教えようとすることは、天の至宝をみだりにもらすことである」。
水運不及の年は、土気である湿気が勝まさってのさばり、夏の成長作用が抑制されることなく行われ、夏の土用の化成作用が急速にされます。また、熱い雨がしばしば降ります。このとき天空では土星の輝きでこれを示しております。
人々は、腹がいっぱいにつまってはり、身体がおもくだるく、軟便を下痢し、凍傷にかかって、うすい分泌液を出し、腰や股が痛み、股や膝ががくがくし、腿やふくらはぎがおもくだるく、もやもやし、足が萎なえ、冷え、痛み、はなはだしくなると、はれてきます、これは、水気、すなわち冬に相当する蟄藏ちつぞう作用が行われないので、人体内でも、腎臓の働きが悪くなるからです。このとき天空では水星の輝きでこれを示しております。五行の水に属する穀物は「黒豆」です。
もし、そのうえ、太陰司天でありますと、厳寒がしばしばやってきて、虫けらどもは早く冬眠に入り、土地は堅い氷におおわれ、日の光も不安定です。人々は下半身に冷えの病を起こし、ひどいときは、腹がつまってはり、体中がむくんできます。このとき天空では、土星の輝きがこれを表します。この年は一般に、土に属する稗の出来具合がよろしいです。
復ふくの現象(土への報復)を起こすと、水の子こにあたる木、すなわち風気が報復するので、大風が急に吹いて、草はふし、木はたおれ、万物の生せい・長ちょう作用がかんばしくありません。
病人は顔色が変わり、筋骨が委縮し、肌肉がぴくぴくとひきつり、目がかすんでぼんや
りします。すべてのものが、ばらばらにこわれる傾向となります。
また、肌肉にはれものを生じ、あるいは、陽気が胸の中に集まってめぐらないときは、心臓部や腹に痛みを起こします。すなわち木気の報復で土気がやられるので、このようなときは、その穀物である稗の実りは悪くなります。
このとき天空では、木星の輝きによってこのことを示しております。
意釈黄帝内径運気(小曾戸丈夫著)より抜粋
金匱要略の臓腑経絡先後病に「四季しき(春夏秋冬の各々四つの土用)脾ひ王おうす(脾臓の気が旺盛になります)」と書かれております。
五運六気や占いの開始点は立春から始まり節分で終わる。
天正正月 先天と後天 人體の先天と後天
天正正月 冬至 周の時代の正月
先天、天に先だつ気、初めにあった気、冬至が一年の始まり。
傷寒論の傷寒例八条
十五日に一氣を四時の中に得、一時に六氣有り、四六名づけて二十四氣と爲す也」
十五日に一氣を得て春夏秋冬の四時の中に、それぞれ六氣あります。
4×6で二十四氣(二十四節気)とします。
一氣とは気候が移り代わる、一節を云います。
一時の九十日の間には、十五日の一氣は六つ有り、故に一時に六氣ありと云います。
四時の中の六氣なので一年で二十四氣とします。
名を付けるとは立春とか夏至とかの名前を付ける事です。
後天は人の用に役立つように、年の始まりを後らせた。
立春が年の始まり。漢の時代の正月。
地球は23.4度の傾きで太陽の周りを公転しているので、春夏秋冬の四時が生まれる。
北緯35度帯では、四時が均等になる。
地球は水で覆われている、水は熱の伝導が悪く、暖まり難く冷め難い、
このため冬至を過ぎてからなお、寒さが厳しくなり、小寒、大寒、となり立春を迎え、
夏至を過ぎてからなお、暑さが厳しくなり、小暑、大暑となり立秋を迎え、
三つ節気がずれ込むので、節気三つ分、45日(45度)後らせて、先天(冬至が正月)と後天(立春が正月)に分けた。
一年は365日。円の角度は360度(1・2・3・4・5・6・8・9・10・12割れる)
先天 天正正月 周の時代の正月 冬至が年の始まり。冬至・夏至・春分・秋分の二至二分。十字。
後天 漢の時代の正月 立春から始まる。立春・立夏・立秋・立冬の四立。バッテン。
艮ごんという卦は萬物の終わる所であり且つ始まる所である。艮は十二支では丑寅うしとら、丑で終わって寅で始まる。
庚子大禍(新型コロナウィルス禍) 中国 河北省2020年
湖北疫病(紀元前208年頃)前漢の時代
令和二年は「☱☴」澤風大過たくふうたいかの卦かでした。
大過は「大いに過ぎたる」ですが、大過は大禍に通じます。令和二年は庚子の年で、中国では「庚子大過」と云って、新しい時代が始まる前に六十年毎に大いなる災=禍が生じておりました。令和二年は「新型コロナウィルス禍」の大きな災厄が世界中に飛び火しました。
澤風大過は、「大過は棟撓むなぎたわむ。往ゆく攸ところあるに利よろし。亨とおる」。とあります。
雜卦傅ざっかでんには、「大過は顚てんなり」とあり、本末ほんまつの倶に弱い象です。本末の弱いものは必ず顛倒てんとうするものであることは、赤兒あかごの立場を見ても解かる事です。大過は累卵るいらんの危うき状態にある象というべきでしょう。
大過は非常・危険の時です。危険だからと言って其のまま静観していれば、やがて覆滅ふくめつが襲って来るばかりであります。何とかして、之を救わねばなりません。「往く攸あるに利し」とはそうした意味です。みすみす潰されるのを待ち眺めているのは義を見てせざる怯懦者ひきょうものです。君子たる者、往ゆかん哉かな、往かざるべ可からずです。
大過の危さは、現在の危うさです。そして之を救って危地を脱するために、「往くところあるに利し、亨る」の将来を告げて居ります。けれども、やはり同じ危機を藏ぞうしている「☶☷山地剥さんちはく」の卦などでは、単に「剥は往く攸あるに利しからず」といい「消息盈虚しょうそくえいきょは天行てんぎょうなればなり」と投げ出してしまっているのを、茲ここで思い出して戴くと、いろいろ感興かんこうが涌わくことと思います。
斯かく對比たいひしてみますと、剥の消盡しょうじんは抜き差しのならない一の運命であり、大過の危殆きたいは一つの現象であって必ずしも覆滅が既定されているわけではないと見ているわけで、これは占考の場合にも考慮されねばならないことです。
彖傅たんでんに曰いわく。「大過たいかは大だいなる者もの過すぎたるなり。棟むなぎ撓たわむは本末ほんまつ弱よわきなり。剛ごう過すぎて而しかも中ちゅう、巽したがいて説よろこび行おこなう。往ゆく攸ところあるに利よろしく、乃すなわち亨とおる。大過たいかの時とき大おおいなる哉かな」。
本ほんと末まつとは一貫したもので、この文字の基本は「木」です。木の根の方に印をつけたのが本で、梢の方に印を付けたのが末です。
澤風大過
過ぎていながらも、ある部分では中和を得ている。それ故ゆえ此この卦の行くのは、巽そんと兌だの特性を兼ね備えて行う。大過非常の時に際しても、徒いたずらに焦燥しょうそうしたり憂悶ゆうもんしたりせず、たとへ死に直面したとしても動揺せず「歸きするが如ごとく」柔順じゅうじゅん・和悦わえつを以って赴おもむくことです。これは徹底した法悦境ほうえつきょうでありましょうし、豪傑の士でなくては出来ない事です。
それも中ちゅうを得ているという確信を以って、又そのことの意義を覚り、仕甲斐しがいを感じていればこそ、千萬人せんまんにんと雖いえども我われ往ゆかんの勇気が出るのでもありましょう。よく「眠るが如く」という讃美さんびの辭じが使われますが、永遠の眠りに入る時も平常眠る時のように極めて安らかに悦よろこんで命めいに巽したがう。先人の辭に「地獄は畢竟ひっきょう棲家すみかぞかし」というのがありますが、そういう境地に至れば、この大過の時に當っても功を成すことが出来得るわけです。このように、難局に直面して之を男子の本懐ほんかいと心得、悦よろこび勇いさんで行いけば、往ゆいて事を為すことが出来、従って竅通きょうつうの道も得られるのです。
「大過の時、大いなる哉」というべきです。
象傅しょうでんに曰いわく。「澤たく・木もくを滅めつするは大過。君子以て獨ひとりり立ちて懼おそれず。世よを遯のがれて悶うれふる无なし。
危険な世の中が、それは何どういう世の中かというと「大過は顚なり」と雜卦で云っている、そういうアベコベな道の行われない世で、象に卽そくして云えば、此の卦の四陽爻がみな陰に揜おおはれてゐるやうに、小人しょうにんが勢いを得てノサバリ、君子は表立つことも出来ない。こういう世の中が即ち大過の危殆に瀕ひんした天下である。けれども、こういう時代に在って邪侫じゃねいの小人に迎合すること無く自らの正しさを正しいと為して懼おそれずに立ち、決して隠遁いんとんして孤高慨世ここうがいせの生活をするようなことがあってはならないというのです。
濁世だくせを遯のがれて憂悶ゆもんを持たなくするというのではなく、世を遯のがれずに飽あくまで「往くところあるに利し」という打開策に傾倒しなければならないという意味です。(小人・邪侫を新型コロナウィルとと読み替えると判りやすくなります)
令和三年は「☶☳」山雷頤さんらいいの卦が出ました、奇しくも、前年の澤風大過の卦の陰陽をあべこべにした卦です。
周易しゅうえき序卦傅じょかでんには、「頤は養うなり。養はざれば則ち動く可らず。故に之を受くるに大過を以ってす」
下から三番目の陰爻いんこうが陽ように爻変こうへんするので、「☶☲」の山火賁さんかひという卦に変化します。
山雷頤は「養生の道」です。暴飲暴食を慎み、飲食を適へ、睡眠をとって、抗病力を増し免疫力を高める事が大事です。
少し余談になりますが、私たちの齒と云うのは、「物を食べる齒」です。この山雷頤は齒の形だと見ても良いのです。
其れはどういうわけかというと、齒という字をよく見て下さい。この字の上の部分は「止」でしょう。外卦の艮です。艮の代わりに「艮ごんは止しなり」で、まぁ代用品ですね。そして、その下にクシャクシャと竝ならんでいるのが二爻から五爻までの四陰しいんの齒牙しがで、それから下の方から三方を圍かこっているのが、震しんの初九しょきゅうの一陽です。
爻辭は六三が出ました。
六三。「頤やしない拂もどる。貞ただしくすれば凶きょう。十年じゅうねん用もちいる勿なかれ。利よろしき攸ところなし」。
象傅しょうでんに曰いわく。十年用いる勿れとは、道みち大おおいに悖もどればなり。
何事においても苦しい立場に立ち、辛労の絶えない時と見ねばなりません。また自分が正しいと信じた事が、偏屈へんくつの為に世間から容いれられず、悪評あくひょうを蒙こうむり、その悪評の為に失敗したりします。事業、交渉、訴訟等、見合わせるに限ります。力が足りないし、中肚ちゅうとに障碍しょうがいを生じて身体に窮きゅうする破目はめに陥おちいります。
貞吉ていきち・貞凶ていきょう
彖には貞吉とありました。その貞は正しいことであり正しいことであるから永く何時いつまでも固かたく守るのが良いので、貞は正せいであると共に固こでもあるのです。
けれども六三の場合の貞は、正しいのではなく、正しいと思って固くするという、貞固の意味です。
だから彖の貞吉と六三の貞凶は矛盾する訳ではありません。
十年勿用じゅうねんもちいふることなかれ
十年とあるのは「何時までも」という程の意味です。十は数の終わりで「最後まで」ということも表すために用いたのです。
言語に就ついて如何に心せねばならないかに就いて、繋辞傅けいじでんでも「亂らんノ生しょうズルヤ言語げんごを以もっテ階ともトナス」とか「君子ソノ室へやニ居おリ其そノ言げんヲ出いだス。善ぜんナレバ則すなわチ千里せんりノ外そと之これニ応おうズ。況いわんンヤ邇チカキヲヤ」とか「言行げんこうハ君子くんしノ樞機すうき」というように幾度いくどと挙あげているほどであります。
更に飲食に就いては、説明の必要がありません。頤いの養いに栄養の豊富なことを求めるのは勿論ですが、傷いたんでゐたり、身みに過すぎた量であったりすると、忽たちまちにして體からだの具合を悪くします。
それで震しんが天空に思うがままに奮ふるふことを控ひかえ、艮山ごんざんの制止せいしを受けつつ或る一つの規矩きくを以って動いている此の卦の象に傚ならい、「君子くんし以もっテ言語げんごヲ愼つつしミ飲食いんしょくヲ節せっス」と教えているわけです。
令和三年は、新型コロナウィルスの蔓延により、如何にウィルスを避け、重症化しないように抗病力を高めるために、「暴飲暴食を避け、飲食睡眠を調え、予防と養生の道を守ることです」特に春夏秋冬の四時の前十八日間の土用の間は特に、飲酒を控え、プチ絶食、(ご飯を控えて朝食にオートミル・大麦、玄米食)などをして脾臓の気が旺盛になる事を抑制すると良いでしょう。
山雷頤の三爻めの陰爻が爻変して陽爻になると「☶☲山火賁さんかひ」と云う卦になります。
賁という字は、普通に使うことは少なく、わずかに「賁臨ひりん」など云って光臨こうりんと同じ意味に使用されているくらいのものです。
これは十じゅうに从したがい、廿にじゅうに从したがい、貝かいに从したがっています。廿は両手です。貝は古代の貨幣であり、装飾具です。それで賁は沢山の貝を両手を以って身に止め装い飾る事を表しています。
また貝は内卦ないかの離です。手は外卦がいかの艮です。艮を以て身とし、止めると致します。だから此の賁という字は此の離下艮上の卦に最も即した文字であると云えましょう。
亨る
賁を粉飾と考えている人には、何故「賁ひは亨とおる」のか不審かも知れませんが、賁を正しく解すれば美を愛するのが人間本然の性向なので「賁は亨る」道なのです。
易に「亨る」といきなり出て来るのはみな、人間本然の性向にかなったものばかりで、そうでないものは全然「亨」の字が彖に無いか、或は「何々にして亨る」というように、或る努力を以て亨通を得るという、其の道を示しているのです。
文(かざり)。文という字は文飾ぶんしょくなどと云って、やはり「かざり」と訓よみますが、文というものは元来一つの賁なのです。
賁と文とを併せ考え、文學とか文化とかいうようなものにまで、及ぼしてゆくと、賁という卦の本質が一層はっきりすると思います。
剛柔ごうじゅうの先せん
賁の文飾は、いづれかといへば陰道いんどうで、それ故にこそ、過ぎたるを文弱ぶんじゃくといひ、柔弱じゅうじゃくに流れるというのです。
彖傅たんでんで「柔来って剛を文かざる」といって、賁の亨通を得る所以うを先ず説き、「剛ごうを以もって柔じゅうを文かざる」のも亦、賁であると云ひ及んでいる。此の柔を先にし剛を後にしたところも、易作者の深意しんいを汲くまねばなりません。
賁は亨る。「少すこしく往ゆく攸ところあるに利よろし」。
外卦の艮は屹立きつりつした山です。内卦の離は美しく燃え輝く山です。山の麓で火が熾おきびに燃えているとすると、其の光鋒こうほうは四邊しへんの諸物しょぶつに照映てりはえ、美しい彩いろどりりを為すであろうことは、申上げるまでもないということでしょう。
火そのものが既に燃え輝く明るいものであるけれども、その光を照り映えらすものがあって、その明るさ美しさが一層はっきりして来るのです。そういう物に離つき添そって本来の値打ちを高めるのが賁ひ、そういう内外卦の見方です。
彖傅に曰く。賁は亨る。柔来りて剛を賁を文かざる。故に亨る。剛分ち上りて柔を文かざる。故に少しく往く攸あるに利し。天文てんもんなり。文明以て止とどまるは人文じんぶんなり。天文を観みて時變じへんを察し、人文を観て以て天下を化成かせいす。
「天文なり」。天地自然の文かざり。天道の文飾。自然の飾りともいうべき種々な自然現象を観察して居れば、時の變化を良く知ることが出来る。これが天文で、これを人に推おしたのが人文で「文明を止るは人文なり」。
象傅曰く。「山下さんかに火ひあるは賁ひ。君子以て庶政しょせいを明らかにし、敢あえて獄きょくを折さだむる无なし」。
賁卦の占考
筮して此の卦を得た場合には、一番普通の見方としては、やはり噬嗑と関連して頤中に物ある卦として見る事です。事業の遂行にしても、相談ごとにしても、兎角障害の起りがちな時で、その障害を取り除く手段にしても、噬嗑のように強い力を用いるわけには行かず、その内面的苦痛が一層甚だしいものであると言へます。虚勢を貼り、まだ参らぬぞというような身振りを示しながら、内心では非常に恟々きょうきょうとして、寝る眼も合されぬというような事もあります。
この卦の場合の行動には、最も思慮分別を密にせねばならないといことが第一の要事で、凡てに見込み違いが起りがちです。 加藤大岳 易学大講座より
此の事から、令和三年は新型コロナウィルス禍が蔓延して、国民が過剰な飲食接待、豪遊を自粛して飲食を慎むことで養生の道を行うことで災を減らす事が出来ます。また経済は給付金や補助金など政府からのお金の投入が増えてゆきますが、実態の経済は上向きにならず、個人や企業などの余剰金が株式や金融商品へと流れ込み、新型コロナ関連の株価が高騰したりして、見せかけの景気上昇(山火賁の粉飾)となります。百年前の「スペイン風邪」の時も終息後二年経った頃に景気が反転しましたが、同じように丑年(令和三年)で収束して、寅年(令和四年)で新しいスタートを切り、卯年(令和五年)でぴょんぴょん走り出し、辰年(令和六年)で賑やかになって、景気が踊り場となるでしょう。